旅行案内2 (バゴー/チャイトー、インレー湖、モンユワ、シュエボー) |
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中小企業診断士 都築 治 |
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1 | バゴー/チャイトー |
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(1)バゴー バゴーはヤンゴンから北東約75kmの所にあり、車でヤンゴンから2時間くらいで行くことができる。 6世紀にはモン王国の都があり、11世紀中頃まで続いた。その後、モンは新興国家バマー族のバガン朝に隷属することとなった。バガン朝がフビライのモンゴルの侵攻(1287年)により衰退した後、勢力を盛り返したモン族のビンニャウーはバゴーの戦略的重要性に注目し、1365年モッタマ(モン州モーラミャイン近郊)から都を当地に移した。このモン族の王朝は、ハンタワディ朝といわれ1539年まで続いた。1519年頃が最盛期だった。 1541年バマー族のダビンシュエティはモン族を駆逐し、バゴーに都を構えた。バマー族によるタウングー朝である。タウングー朝衰退後は、モン族は1740年から1757年まで当地に都を構えたこともあったが、その後は歴史の表舞台からは遠ざかってしまった。 ハンタワディはパーリ-サンクリット語で「ヒンターの都」を意味する。 ア チャイプン チャイプンはバゴー市街から1.5kmヤンゴン寄りの所にある。高さ30mの角柱を背に過去4仏の大仏が座している。チャイプンとはモン語で「4つの仏像」を意味する。1476年ダマゼディ王によって建立された。 |
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イ カリヤニシマ カリヤニシマは、1476年ダマゼディ王によって建立された戒壇院である。何度も侵略や地震による崩壊等にあったが、1954年に再建された。この戒壇の西側には、パーリ語とモン語で刻印された10本の大きな石柱がある。ミャンマー仏教初期の歴史が刻まれており、ミャンマーの歴史の貴重な資料となっている。 |
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ウ シュエタリャーウン・パヤー |
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エ マハゼディ シュエタリャーウン・パヤーの西方にマハゼディがある。タウングー朝2代目のバインナウン王が、スリランカから贈られた仏陀の聖歯、エメラルドの鉢、その他聖なる遺物を祭って1560年に建立したものである。 西暦1600年にポルトガル人のデ・ブリトがタンリン(ヤンゴンの南方にある町)の知事を装ってバゴーにやって来て、パヤーの聖傘を取り壊し、飾ってあった全ての金や宝石を持ち帰ってしまったこともあった。パヤーは大地震によって崩壊を重ね、現在のパヤーは1982年に修復再建されたものである。 マハゼディは「偉大な仏塔」を意味している。約100mの高さを誇り、白い色の仏塔は男性のみ途中まで登ることができる。 |
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オ モン族の集落 モン族はミャンマー国内で一大勢力を誇った民族であるが、バマー族との長きにわたる抗争により、民族の力は衰えてしまった。 この集落に一歩足を踏み入れると、タイムスリップした感じになる。大昔の日本の集落を彷彿させられる。集落の中では、機織りや巻きタバコ作っている様子が見られる カ チャカッワイン僧院 チャカッワイン僧院はミャンマー有数の僧院で、常に1千人以上の若い見習い僧や修行僧が起居し、修行に励んでいる。毎朝、10時半から正餐の様子が見学できる。 |
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キ シュエモード・パヤー ヤンゴンのシュエダゴン・パヤー、ピィのシュエサンドー・パヤーと並び、ミャンマーの三大パヤーと言われている。114mの高さは、ミャンマーで最も高いパヤーで、バゴー人の誇りとなっている。 シュエモード・パヤーの創建は古く、1千年以上も昔のことといわれている。伝説では、商人の兄弟が釈尊から2本の整髪を賜り、インドから持ち帰ってこの地に収めたのが始まりと伝えられている。 西暦825年にタマラ王、840年にウィマラ王によって修理され27mの高さにまでなった。度重なる地震によって崩壊し、再建を繰り返す度に塔は高くなった。1930年の大地震ではその大部分が崩壊したが、1954年に現在見られるように修復された。 |
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ク ヒンターゴン 町を見下ろすような丘がヒンターゴンで、伝説の神鳥ヒンターの夫婦が最初に降り立った所と言われている。 伝説のヒンターの像があり、頂上から眺めるバゴーの町は緑の中にある。 バゴーがまだ海で覆われていた頃、ゴータマ仏陀は海の中の小さな岩山の頂きでお休みになられた。お釈迦様の後ろには2羽のヒンター(神聖な水鳥)が付き従っていた。2羽は休もうにもバゴーの島は余りにも小さく、雄のヒンターの上に雌が乗って休むしかなかった。(バゴーの男は女性の尻に敷かれる) |
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ク カンボーザタディ王城跡 シュエモード・パヤーから南約500mの所にバインナウン王の王城跡がある。1.8km四方の城塞内の発掘は1990年4月1日から始まった。発掘の過程で建物の床の煉瓦、ティーク材の柱、及び古い仏像や工芸品が多数発見された。 中央の宮殿部分は再建され、その豪華な様を見ることができる。博物館も併設されている。 |
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(2)チャイトー ア チャイティーヨ・パヤー チャイティーヨ・パヤーはゴールデンロック、ホーリーロックとも言われ、多くのミャンマー国民憧れの地となっている。バゴーから65km東にあり、近年道路の整備が急速に進み、ヤンゴンからは早朝車で出発すれば日帰りできるようになった。 チャイティーヨ・パヤーは巨大な岩石(高さ8m、胴回り24m)で、山頂の絶壁にずり落ちるような形で収まっている。何人かの人で持ち上げるようにすれば、ユラユラと動くが、絶対に落っこちないと信じられている。 山麓から中腹まで車で行き、1時間〜1時間半ほど歩いて山頂にたどりつくのが通常の参拝の姿であるが、近年は、山頂近くまでトラックバスで行くことが可能となった。山頂は大理石が敷き詰められた広場になっている。パヤーの周辺は囲いがなされており、男性のみが入場を許される。男たちが金箔を貼ったリ、岩に手をやって一心に祈念している様などが見られる。 チャイティーヨに3度お参りすると、金持ちになれると信じられている。ミャンマー仏教は現世のご利益を求めない宗教であるが、チャイティーヨはどうやら別格のようである。そのために、乾季が訪れるとミャンマー国内の各地からの巡礼者で引きも切らないほどになる。山頂の広場の東側は門前町を形成しており、食堂や土産物店など観光客で賑っている。 |
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2 | インレー湖 |
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(1)インレー湖 インレー湖はシャン州の州都タウンジーから南25kmの所に位置し、シャン州の中で最も有名な景勝地である。湖の深さは平均で4m〜5m、長さは22km、幅は11kmで、琵琶湖の3分の1くらいの広さである。海抜は、おおよそ 875mである。インレー湖には主にインダー族が居住し、4つの大きな村、200の小さな村がある。 インダー族は浮島での農業、舟を操るための独特な片脚こぎ、円錐形のかごを罠にした漁法で有名である。浮島の農園は、葦を編んでマット状にして上部を泥で覆い、農作物が成長するようにしたものである。 インダー族が浮島の一部をボートで引っ張っているのを見掛けることがあるが、そんなに珍しいことではない。 インダー族は漁師としては勿論、木綿や絹の織り手、銀細工師、鍛冶屋、大工などの分野にも卓越した技能を発揮している。タラ村は織物センターであり、ユワマ村は水上マーケットで有名である。 |
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ア パウンドーウー・パヤー パウンドーウー・パヤーは国中でよく知られ、毎年10月のはじめ頃に、片脚こぎによるボートレースのパヤー祭が行われる。また、金色に輝く5体の達磨状の仏像が注目される。これは、長年に亘って仏像に金箔を張り続けたため、達磨さんもしくは団子のような形になってしまったものである。バゴダ祭の時には、色鮮やかな船に4体の仏像を乗せて湖の中を巡航する。何故4体かは、この際秘密にしておこう。本堂の地階は土産品等の店で密集している。 |
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イ ガペー僧院 ガペー僧院は、ジャンピング・キャット僧院としてよく知られており、僧院内の猫がジャンプして輪をくぐらせる様子が見られたが、動物愛護の批判のために、最近は余り輪をくぐらせていないようである。僧院は木造で、院内にはシャン、チベット、バガン、インワの各スタイルの仏像が安置されている。 |
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ウ ユワマ ユワマはインレー湖の中にある最大の村落であり、運河が蜘蛛の巣のようになっている。ティーク材の高床式の家々が見られ、毎5の日に、水上マーケットが開かれてインレー湖の名物となっている。 エ インデイン遺跡 インデインは湖の西側にあり、迷路のような水路を、伸びた植物の枝や葉でボートや顔を打たれるようにしてようやく辿り着く。長い柱廊を登るとシュエイン戒堂がある。雨にさらされて朽ちた1,000基以上のパヤーも見られる。 |
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(2)インレー近郊 ア タウンジー タウンジーは、海抜1430mの所にあるシャン州の州都で、高原地帯にあるため1年を通じて涼しく、快適に過ごすことができる。シャン州南西部の交易の中心として発展している。町の中央にマーケットがあり、毎5日に、伝統的な民族衣装を身に着けた少数民族の人々で賑やかになる。シャン、バマー、パオ、カチン、パラウン、ダヌ、ワ、ラフ、パダウン、カヤ、インダー族などの人々が、それぞれの伝統と文化に従ってここに住んでいる。タウンジーからインレー湖に行くには約1時間掛る。 イ カック遺跡 カックはタウンジーから南40kmの所にあり、パオ族の居住区となっている。ここには、2,000基以上のパヤーがあり、パオ、シャン、バマーの各様式で建てられている。パヤーの高さは3mから4m程度で、レンガと紅土により造られている。伝承によれば、紀元前3世紀アショーカ王の時代に建てられたのが始まりといわれている。 ウ カロー カローはタウンジーから西70kmの所にあり、シャン高原の西端に位置している。カローは高原の町で海抜1,400m所にある。英国植民地時代は避暑地として発展し、チューダー・スタイルの家屋や、英国庭園が残っている。マーケット開催日には、パダウン族や高地少数民族のカラフルな姿が見られる。カローはトレッキングの基地として、欧米人から注目されている。 |
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エ ピンダヤ ピンダヤはカローから45kmの所にあり、シャン高原の最南部に位置している。高度は海抜1,180メートルである。ピンダヤには、アウンバンを経由して車で行くことができる。ここには、ダヌ、タウンヨー、シャン、パオ、パラウン、カインおよびバマー族が住んでおり、最大はダヌ族でタウンヨー族が2番目に多い民族である。パオとパラウン族の人口が最も少ない。仏教徒が大多数である。 ピンダヤとは、シャン語で「黄金の花が育つ平原」という意味である。 ◆シュエウミン・パヤー シャン州の南部ピンダヤにあるシュエウミン・パヤーは、洞窟の中に建てられている。この洞窟は、丘陵の横に奥深くできており、入り口の所に15mの高さのシュエウミン・パヤーがある。洞窟は海抜1,520mの所にある。この洞窟には、8,000体以上の仏像が安置されており、大小の仏像が迷路のように配置されている。シュエウミン・パヤー祭は毎年開催され、国中から6万人もの巡礼者が集まる。 |
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3 | モンニワ | ||||
マンダレーから西136キロメートルの所に、チンドウィン平野の商業中心地であるモンニワがある。モンユワはインド交易の中心地で、30万人の人口がある。 | |||||
ア タンボデー・パヤー モンユワ市街から南東19kmの所に、有名なタンボデー・パヤーがある。1939年に築造された建物内に、大小582,357体の仏像が安置されており圧倒される。インドネシアのボロブドゥールよりも小さいが、ミャンマーではユニークな建造物である。建物は845基のミニ・パヤーで装飾されている。 イ ボディタタウン ボディタタウンは千本の菩提樹で知られており、菩提樹の下に8千体の仏像が並んでいる。現在では菩提樹は千本以上になっており、近くの丘には巨大な寝釈迦像が4階建てのビルを枕にして横たわっており、像の胎内に入ることもできる。最近、100mを優に超える巨大な立像も建てられた。 ウ レディ僧院 レディ僧院は市街から北西21kmの所にあり、1886年にレディ尊者の指示によって建てられた。マンダレーのクトドー・パヤーに倣い、806個の石版に仏典が刻まれているのが見られる。 |
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エ ポーウィン・タウン ポーウィン・タウンは、貿易都市モンユワの西チンドウィン川の対岸、ニャウンビンジーと呼ばれる川沿いの港の村からは22.5kmの所にある。ポーウィン・タウンはほぼ300mの高さがあり、それほど険しくないが岩肌で覆われている。 バガンのアノーヤター王がシュエジーゴン・パヤーの建立を始めた時、この丘陵地帯の藩王であるマハバンダワを招いた。マハバンダワはバガンから帰る途中、後代の人々が仏陀の教えを忘れないようにと、この丘陵地帯の岩壁に沿って祠と仏像を刻んだ。それらの数は44,444にも達したといわれている。 現在、祠の点在するこの丘陵は次の三つの名前で呼ばれている。@ボーウン・タウン(Bo-Wun Taung)、すなわち、これらの祠が全ての人々の協力で建てられたと言う意味、Aポーウィン・タウン(Poe Winn Taung)、すなわち、この丘が夜になると蛍の大群で明るく光っているように見えるという意味、Bポウィン・タウン(Pho-win Taung)、すなわち、この丘にゾージィたち(Zawgyis 超能力者)がその能力を強化するためによく訪れるという意味、の名前が付いている。 オ チャウカ村 チャウカは、コンバウン朝時代以来漆細工の中心地の一つとなっている。バガンの製品と比べると洗練されていないが、強度では優れている。観光客が少ないため細工が粗く、実用的で値段も安くなっている。チャウカ村には、14世紀に建てられたシュエグニ・パヤーがそびえている。 |
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4 | シュエボー | ||||
(1)シュエボー シュエボーはコンバウン朝を開いたアラウンパヤー王の生誕地で、王が最初に築いた都であったが、現在では埃っぽいひなびた田舎都市となっている。観光客は余りやって来ないが、王城跡や多くの仏塔、近隣のピュー族の廃墟など多くの史跡に恵まれている。 ア アウンミェ・パヤー ミンドン王は、マンダレーへの遷都を記念して西暦1853年にパヤーをシュエボーに建立した。パヤーはアウンミェ僧院の境内にある。 |
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イ シュエタンザー・パヤー このパヤーはシュエボーのサンス地区にあり、バガンの王ナラパティシトゥによって最初に建てられた。その後、西暦1753年にコンバウン朝のアラウンパヤー王によって再建された。現在の高さは43.9メートルである。 ウ シュエボーの梵鐘 大きな梵鐘と鐘塔が、バマー族最後の王朝コンバウン朝(1752−1885年)を創始したアラウンパヤーによって造られた。王は銅、金、銀、亜鉛、鉛、タングステンなどの7種類の金属で鐘を造らせた。鐘の重さは48トン、3つの数つまり333ビス、33ティカル、3ムーである。鐘にはライオン、虎、象、竜などの絵と神秘的な呪文が彫られている。 エ バホシ(王室太鼓) アラウンパヤー王は、1753年シュエボー正式な名前はラタナテインガに都を建設した時、7つの塔を同時に建築した。王室太鼓尖塔もその内の1つである。尖塔は王城の敷地内にあり、ユウェドーユ門に建っている。太鼓は胴回り3.7mもある大きなマンゴーの木をくり貫いて造られていて、完成した時には長さは4.1m、前面は直径91.5cm、後面73.2cmであった。太鼓は、野牛の革と装飾された紐が付けられている。 |
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オ シュエチェットー・ゼディ このパヤーは、シェボー出身のアラウンパヤー王誕生の地に建っている。王は西暦1753年にこの仏塔を建てた。高さは43.9メートルである。 カ モードーミンターまたはミョーダウン・ゼディ バマー族3度目の王朝の創始者アラウンパヤー王は、バゴーのシュエモード・パヤーと同じ建築デザインに基づいて西暦1848年にこのパヤーを建立した。王はモン族のハンタワディ朝を征服したが、モン族に敬意を表し、真摯な気持ちでパヤーを建立した。―の高さは30.8mである。 シュエボーの町の北東の角にあり、ミョーダウン・ゼディとも呼ばれ毎年盛大な祭りが催される。 |
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(2)シュエボー近郊 ア アニャティハドー・パヤー アニャとは陸の奥を意味し、ティハドーとは獅子の森を意味する。アニャティハドーは、エーヤワディ川の上流にある岩石でできた島の名前で、いにしえのタガウン王国の最初の都として知られている。 紀元前325年に、インドからもたらされた仏陀の遺品を祭るために、ダガウンの王によってパヤーが建てられた。そして紀元前250年に、アショーカ王の布教団がパヤーを再建したと伝えられている。3度目はバガン朝のアラウンシトゥ王が再建し、14.6mの高さにした。 このパヤーに祭られている聖遺物はしばしば神秘的な光線を発し、そのために敬虔な巡礼者から崇められ、インワやマンダレーの王さまたちが王家の客船に乗ってよくここを訪れていたそうである。 |
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イ オーケー・チャウンドージー(大煉瓦僧院) ザガイン地区イェウ郡のウェッフォーとミンパウという二つの村の間にオーケー・チャウンドージーがある。僧院の寄進者は、バジドー王(1819-1837年)の義弟であるサリン王子ウ・オーの叔父ウ・テーである。この僧院は、メヌ王妃の煉瓦僧院と同じ設計で造られているが、当時の王室の認可状により、それより幾分小さく造られた。 ウ ハリンジー ハリンジー又はハンリンは、シュエボーの南26kmの所にある。古代ピュー王国の都で、城壁の跡や朽ちたパヤーが残っている。小さな博物館が僧院に併設されており、古銭や古壺などが展示されている。村には温泉もあり、湯浴みや衣類の洗濯に利用されている。 |
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